ヒグマの生態と生活
ヒグマは北海道の山林に生息し、草木の芽や根、アリ、ハチミツなどを食べる雑食性の動物です。冬になると冬眠し、妊娠しているメスは冬ごもりの最中の1月から2月にかけて2~4頭の子を産みます。生まれたばかりの子熊はわずか400g前後で、2か月で目が見えるようになり、100日で体重が4kgほどに成長します。
約4年で大人の熊となり、メスは子供を産むことができます。この頃の体重は約230kg~250kgで、さらに成長すると450kgほどに達します。本州の月の輪熊の約2倍の大きさです。
ヒグマの走るスピードは時速50キロから60キロで、木登りも得意。登山などで出くしたら、熊の目をジーっと睨みつけて後ずさりして、決して背中を向けて走ったり、木に登ったりしないようにと言われました。
しかし、実際そのような果敢で冷静な行動が出来る方はいるでしょうか。柔道技で倒した。噛まれたけど一命をとりとめた、とニュースで聞いたことはありますが・・・・。
【北海道の屋根大雪山連峰】旭岳で使った写真です。
写真ですから、ニコニコしていますが、バスガイドの制服から、山岳ガイド風に着替え、パンプスから登山靴に履き替え、リュックにはクマよけスプレーは勿論、熊にここに私たち人間がいますよ、とわざと教えるため、大きな鈴を持ち、万事の際には笛を吹く準備をしていました。
遭難した場合を想定し、ナイフ、水、飴やチョコレートも用意していましたが登山者ではないので必要最低限のものです。
【北海道の屋根大雪山連峰】黒岳でも同じような話をしています。
ガイドが先頭切って逃げる訳に行きません。身を徹してお客様をお守りします、と言う覚悟でいましたが、やはり大雪山系の山岳ガイドや知床五胡、オンネトー、紅葉滝、敷島の滝など、熊が良く出没すると言う場所での下車案内は恐ろしかったです。
もはや下車案内とは言わないと思う、と言うのが正直な気持ちでした。
エゾオオカミの絶滅
明治時代オオカミは家畜を襲う害獣と見なされ、組織的な駆除が行われました。その結果、エゾオオカミは明治29年頃に絶滅したとされています。オオカミの絶滅は、エゾシカの増加やヒグマの生態に影響を与えました。
ヒグマの危険性と対策
ヒグマの凶暴性と頻繁な人里への出現は、北海道の開拓時代から続く自然との闘いの一部です。今日でも、ヒグマによる被害は続いており、人々はヒグマとの共存を模索しています。
ヒグマは凶暴ですが、むやみに人を襲うことはなく、たいていは大きな音をたてると逃げていきます。しかし、山道で突然出会ったり、子熊を連れていたり、一度人や家畜を襲った経験があったり、鉄砲で傷を負った手負い熊であったり、秋に十分食べ物にありつけずお腹を空かせ餌が不足している場合などは非常に危険です。
また冬眠しない「穴持たず熊」などは非常に凶暴です。このような熊に山中で出会った場合、まず生きて帰ることは難しいと思います。
現代の北海道では、ヒグマの生息数は増加傾向にあると言われていますが、足跡や目撃情報数が増えていることは事実です。観光地でも注目されています。例えば、三毛別事件の現場には記念館が建てられ、観光客に当時の恐怖と教訓を伝えています。
三毛別の人食いグマ事件
1915(大正4年)年12月、北海道三毛別村で史上最悪のヒグマ襲撃事件が発生しました。この事件では、ヒグマが7人の命を奪い、3人を負傷させました。事件の中心にいたのは「袈裟懸け(かさがけ)」と呼ばれる巨大なヒグマでした。
12月9日、ヒグマは太田家を襲い、妻の阿部マユと赤ん坊を殺害しました。その後、村人たちは熊の襲撃を恐れ、警戒を強めましたが、熊は再び村に現れ、宮内家を襲撃しました。この襲撃で数人の子供と妊婦が犠牲となり、村はパニックに陥りました。事件後、名人猟師の山本兵吉が「袈裟懸け」を仕留め、事件は終息しました。
※このお話は衝撃的ですので詳細はご案内せず事実だけを淡々とご案内しておりました。
2024(令和6)年4月29日のニュース
写真提供:北海道警察 とありますが、下の写真の軽トラックのドライブレコーダーの映像とのことです。
2024(令和6)年4月28日午後1時頃、28日午後1時ごろ、根室市の林道で山菜取りのために走行していた軽トラックにヒグマが体当たりしてきました。最初は画面の左側に熊が映っていました。その直後、右からこの熊が出てきました。
男性と同乗者1人にけがはないということで、まずは良かったですが、車両に大きな損傷を受けました。軽トラックは走り続けましたが、熊は追いかけてきました。北海道の山林で起こった最新のヒグマ事件も注目されています。
別海町のなかしゅんべつのニュース
2024(令和6)年5月21日の早朝、北海道別海町の「なかしゅんべつ未来牧場協和育成センター」で、ヒグマが8頭の子牛を襲撃し、4頭が死亡、4頭が負傷しました。地元当局は、現場近くで発見された熊の足跡からヒグマによる襲撃と断定し、地域の警戒を強化しています。この事件は、ヒグマの活動範囲が人間の生活圏に及んでいることを示しており、今後の対策が求められます。
OSO18の事件
2019年、北海道標茶町で発生した「OSO18(おそ18)」というヒグマによる事件も記憶に新しいです。このヒグマは2019年7月から2021年にかけて、北海道東部で66頭の牛を襲いました。名前の由来は、最初の被害が標茶町オソツベツ地区で発生し、足跡の横幅が18センチだったことからです。OSO18はその後も牛を襲い続け、2023年に釧路町でハンターにより駆除されました。
マタギ:伝統的な狩猟文化
マタギは日本の東北地方や北海道で伝統的な狩猟を行う集団です。彼らは主に冬から春にかけてクマやシカを狩り、その肉や皮、内臓を利用します。マタギは狩猟を単なる生業としてではなく、山の神からの授かり物と捉え、獲物に感謝の意を示す儀式「ケボカイ」を行います。マタギの文化は自然との共生を重視しており、環境保護の視点からも重要です。
アイヌ文化では「イヨマンテ」熊送りと言う儀式がありますが、詳細は後日、アイヌ民族についてでご紹介させて頂ければと考えています。
猟友会の問題
現代では、マタギに代わり猟友会が害獣駆除や狩猟活動を行っています。しかし、猟友会にも問題が生じています。例えば、報奨金制度が駆除の意欲を維持する一方で、市町村によってその金額が違い、猟友会の役割が重要視されていますが、その活動には課題も多いです。
私の子供時代の思い出
私が子供の頃、隣の家はマタギで、北海道犬かアイヌ犬かは覚えていませんが、6頭ほど飼っていました。家の建物の前には、子熊を入れておくための鉄格子の箱があり、撃ち取られた母親が恋しいのか一晩中鳴いており、私は子供でしたので怖くて震えが止まらず眠れない夜もありました。
昼間はクマの解体、そのほか、キツネ、タヌキ、ウサギ、エゾシカなども銃で撃ってきては解体し売っていました。それが「マタギ」の仕事です。
「くまのい」とは、「熊胆(ゆうたん)」とも呼ばれる、クマの胆のうを乾燥させた生薬のことです。この生薬は古くから中国や日本で利用されており、健胃効果や利胆作用があるとされています。
毛皮はもちろん、寒い冬を越すのに高く売れたようですが、特に、くまのい(熊胆)が貴重で高値で買われていました。
啓発活動の重要性
北海道では毎年、山菜取りに出かけた人がヒグマと遭遇する事件や、農作物への被害、住宅街や学校の通学路でヒグマの足跡が見つかることがあります。これらのニュースは不安と心配を広げます。動物愛護団体は保護や共存を訴えていますが、駆除の必要性を主張する意見もあります。この問題は非常に難しいです。
各市町村では野生動物との適切な距離を保つための啓発活動を行っています。動物園で安全にヒグマを見ることができても、野生のヒグマに安易に近づいてはいけません。写真を撮ったり、餌をあげたりする行為は危険であり、啓発活動によって安全な共存を目指しています。
まとめ
北海道の自然は美しくも厳しく、ヒグマやエゾオオカミとの歴史はその象徴です。観光や教育の一環として、これらの歴史を学び、現代の共存への道を考えることは重要です。